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祈りは正しく使いましょう

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人は時に神頼みをします。
誰しもかなえたい事がある時、苦しくて助けが欲しい時など神社で神々に手を合わせるでしょう。

祈りの意味

神々は人々の祈りを一心に聞いて下さいます。
拝殿の前で口にした言葉は、一言一句神々の耳に届きます。
そしてその願いをかなえようと働きかけて下さいます。

私たちは祈る時、そんな神々に感謝の気持ちを抱かなければいけないと思います。
頼みごとをするのです。
あなたが人の頼みを聞くとき、どんな人の頼みなら聞いてあげたくなり、
またどんな人の頼みなら聞きたくないと思うでしょうか?

頼みを聞いていただく、そんな謙虚で感謝の気持ちを添えて、なおかつ独りよがりではない、
自分も向上しようという気持ちを持ちながら少し助けていただくような祈りなら、
神々の受け取るお気持ちも、きっと清々しいと思います。

「持ちつ持たれつ」の関係です。
こちらはささやかな祈りをお願いする。
そして神々に気持ちよいと思っていただける姿勢と気持ちと日ごろの行動を添える。
祈りとは、そういうものではないでしょうか。

間違えた祈り

祈りは、自分勝手ではいけないのです。
傲慢ではいけないのです。

私は今、ご縁があってある神社のご奉仕の仕事をさせていただいています。
澄んだ空気の漂う神社でのお仕事は、働きながら神々の恩恵を身体に感じて気持ちのいいものです。

そんななか、今日、ある絵馬に目が行きました。
ほぼ毎回その場所を通りますが、今日はなぜか、どんなことが書いてあるのか絵馬を見てみようと思ったんです。
一つ目の絵馬には、友達の合格をお願いする言葉が書いてあり、ほほえましくなりました。
仕事中でもあるので、そんなにゆっくりと絵馬を見ている時間はありません。
でも、読まないといけないような気持になったんです。

二つ目もささやかな望みが書いてありました。
ふと、その近くにある絵馬に目が行きました。
小さな字でびっしりと文字が書かれています。

その絵馬には最初は誰かの幸せを望む事が書かれてましたが、後半に、名前を挙げて人の不幸を、苦しむ事を望む言葉が続いていました。

絵馬に書くぐらいですから、多分その人はいくつかの拝殿の前でもお願いしているかも知れません。
人の不幸を神々にお願いする。
その事の意味をその方は知っているのでしょうか?
知っているはずはないと思いますが、その願いを耳に入れなければならない神々は苦悩します。
苦しいんです。
もし、あまりにもたくさんのその類の祈りが届いたら、神々は神としてのちからが弱まってしまいます。

綺麗ではないものを浴びるのですから、神々の光が薄れていくのは想像に難くないと思います。

自分の勝手な、独りよがりなお願いをして、受け取る相手が汚されていき弱っていっても構わないなんて、祈る資格すらありません。

祈りの意味をはき違えています。
祈りは自分一人の為ではありません。
祈る側の綺麗な心と受け取る神々の綺麗な光が合わさって、双方がきれいでいられるのです。
叶えようとしてくださる相手への感謝の気持ちを持ち、相手への配慮を忘れない祈りをしたいものです。
傲慢にならないようにしたいものです。

今日の出来事はおそらく神様が、私にその絵馬に気づくようにしたのだと思います。
神様の「その絵馬を外して欲しい」という思いを受け取りました。
苦しかったのだと思います。耐え難かったのだと思います。
そのお気持ちを考えると、涙が出るくらい心苦しくてたまりません。

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