神様も人間に望む事があります。
それを意識して行動してると、お願いを聞いてもらいやすい人になれる、というお話です。
※前回は神様にお願いをする時に気を付けて欲しい事・意識して欲しい事を書いてますので、
参考にして下さい。
それは聞きたいね。
普段から神様と接していて感じる事ですが、
こちらからお願いをするだけではなくて、神様にも人間に望んでいる事があるような気がします。
人は、神頼みをします。いろんな事を神に願い、助けてもらおうとします。
でも、それが一方通行ではいけないですよね。
お願いをするこちら側も、何かをしなければ。
例えば人と人もそうですよね。
一方が頼ってばかりだと、頼られるほうは疲れてしまいますね。
それと同じで、私たちも神に頼ってばかりではなく、神が喜んでくれることをしなければ。
実は、神も人間に望む事があるんです。
(お願いをすることもあります。)
え~っ、神様が人間に望む事があるの?
あるみたいだよ。
神が人間に望む事・・・
なんらかの霊的ちからがなければ、神様のお願いを聞く人になんてなれない、とか
神が喜ぶことなど何もできない、神のお願いなど聞く事はできない。
とは限らないと思います。
誰でも、神が喜ぶことを、する事が出来るんです。
その、出来る事の一つが、神の望む生き方をする事だと思います。
神の望む生き方とは
他者を思いやり、人に優しくし、誰も傷つけず、争わず、
穏やかに生きること。
愚痴や悪口、不平不満を言わず、すべてに感謝して生きる、
そのこころを持つこと。
人を恨まず憎まず妬まず、人を許し思いやり慈しむこと。
それが、神の望む、人のありかたなんじゃないかと思います。
そうそう完ぺきにはなれない、とは言っても、
せめてそう生きれるよう、そういうこころを持てるように努力すること。
それが、神の喜ばれることじゃないかと思います。
その生き方とそのこころを持って、自分がどう行動すればいいかを自分で判断し、
そしてその生き方とそのこころで、神に向かう。
そうする事で、お互いにいい関係になれるのかなと思います。
穏やかに生きるというのは、いつも心を穏やかでいる、ということですが、
それはなにも、穏やかでいられる環境を作る、という事ではないんです。
たとえば誰かに嫌な思いをさせられないように嫌な人とは距離を置く、
という事ではないんです。
穏やかさは、自分の心の中にあります。
自分の心が、穏やかでいられるかを決めます。
心の波風を生まない自分にならなければいけないですね。
何が起きても揺るがない穏やかな心
何が起きても揺るがない穏やかな心 なんて強くなければ持てない・・・
と思いました?
逆です。
何が起きても揺るがない穏やかな心があるから、強いんです。
・・・だそうです。
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